なぜ中国製自転車になってから『いいもの』ができないのか!?−1991−中国自転車製造における孤軍奮闘記録(自転車車検制度)

なぜ中国製自転車に変わってからと言うものなぜ『いいもの』ができないか考えたことがありますか?
ここで言う『いいもの』とは特定しません。
いいものとはあいまいですが「普通」の意味です。
まずいいもの(普通のもの)を造ろうとする気持ちに乏しければどうなりますか?
そして私が考えるにやはり日本側にも多くの問題があるのです。
これもいいものを造ろうとする意欲をそぐ形になることも。
つまり、コストコスト。
つまり仕方ないことかもしれませんが、コストが先で製品ができるのです。
製造側から「コスト」と言われると何も反論できない今の日本側。
今の日本、中国を知らないということは恐ろしい。
もちろん多くの問題が中国側にあることを前置きしてのことです。