自転車で横断歩道を渡る問題−1832−日中自転車製造における孤軍奮闘記録(自転車車検制度)

自転車で横断歩道を渡り、車にはなられ死亡。
こうしたニュースが毎日のように報道されています。
この記事を見ると、横断歩道を渡るという表現から車側に100%責任があるというような表現ですが、
ここで自転車で横断歩道を走行して車にはねられ死亡、と書くと読者及び視聴者の持つ原因のイメージは変わってくるはずでは。
こう書くと自動車側に責任が少なくなるようで、批判を浴びそうですが、このような表現を使っている限りこうした事故は減りません。
責任問題を論じる前に死亡事故を減らすにはどうしたらいいか?を何故もっと考えないのでしょうか?
横断歩道は利用者の権利と生命を100%保証するものではなく、また保証などできないことでです。
歩いていてもはねなられる可能性が高い上、ましてや周囲の状況確認等しないで速度を保ったまま横断歩道に侵入し走行する、
あるいは急に方向をかえて横断歩道に侵入するとしたら、これはもう自動車側の責任云々ではすまされず、死亡につながることに。
そして横断歩道は曲がってくる車においては危険物の発見が遅れる位置であることも確か。
現に私も急にハンドルを切り我が物顔で横断歩道に侵入され、加害者にされそうになった経験もあります
こう考えると今の学校での交通教育にも問題があると考えるのは私だけでしょうか。
自転車製造に携わって44年、こうした事故、「自転車」という文字があるだけで悲しくなります。
こうした事故、「車が悪い!」だけでは絶対に減ることはないでしょう。