中国製自転車製造における孤軍奮闘記録−78−『自転車』は悲しい!

私は『自転車』は悲しいと感じます。
その製造に携わっている人はもっと悲しいです。

『自転車』を知らなくても自転車を造り、それで商売できるからです。
『自転車』を知らなくても『自転車製造』知識がなくても、何とか『かっこだけの自転車を造り』、それで商売できるからです。
コストだけ計算していれば商売できるのです。
問題発生に対してでも、『自転車』とは違う理論で表面だけの対策を考えていれば、相手は納得するのです。
全く的から外れた理論で、問題発生に対して改善対策をするのです。つまり『素人集団でも自転車ができる』ことを意味します。
言って見れはプロは要らないということを意味しています。だから『誰にでも自転車は製造出来る』のです。
私は売っている方も、『人の命を乗せて毎日走っている』という危機感がないのでしょう。
特に大手量販店はそう感じます。
表面的なことだけに注意を払います。
まあ仕方ないことでしょうが、造る方としては表面的なことはどうでもよいのです。
双方のバカさ加減には愛想が尽きます。『自転車』に『愛』を感じなくても『自転車』はできるのです。
素人集団でも自転車は製造できるのです。
『自転車』に『愛(知識)』がなくても自転車は出来るのです。
『自転車』に『愛』を込めることができない会社でも、自転車は出来るのです。それで商売できるのです。
ここに自転車の大きな落とし穴(危険)が待っていると考えています。

それで商売しているのです。なんとも不思議なのが『自転車です』
自転車は不思議だらけです。自転車業界は不思議だらけです。
ですからこの業界、明日もあさっても、同じところをうろうろしているだけなのでは。
私の考え方が事実としたら、もっと悲しいのが消費者のはずです。
消費者にもっと関心を持ってもらうためにも、我々自転車業界が、今すぐにやるべきことがあるはずです。