中国製自転車製造における孤軍奮闘記録−35−中国側、土俵下の問題、土俵上の問題。

現在、中国生産現場で起きている問題、多くは土俵下の問題、つまり自転車技術に関する問題以前の問題が、多く含まれると感じます。
だから長年にわたり、中国品質が改善されないと考えています、だからどこの日本の会社も品質確保に苦労していると考えています。
私は自転車は非常に簡単ですが、非常に難しいと考えています。ですからある人は軽く見ている、というか軽く見ていても造れる。
ここに問題があるわけですが、これは現時点ではどうすることも出来ないことです。論じても始まりません。
なぜこうも毎日、問題が発生するのかを考えていると、一つの問題に突き当たります。
それはやはり『意識』問題に突き当たるのです。
『意識』の中に『注意深さ』、『気の使い』を余り感じ取れないのです。
良い、悪いの話ではなしに、もともと中国人側の『感性』は、日本人側とは基本的に異なるものなのです。(ある意味物造りには余り向かないのかも?。)
これ当たり前で、日本人にない感性が中国人側に有るのと同じなのです。
何か良い例を探しているのですが、適切な例は見当たりませんが、一つの分かりやすい例としてあげますと、写真を撮るときのポーズの取りかた。
これは中国側から日本人、教わっても、感性として日本人には身に付かないと感じます。
もともと日本人側には、物づくりの感性が、中国人側とは異なり、感性補充に対して、それが身に付き、其の都度失われる量は少ないと感じますが、
中国人側においては、日本人的感性を補充しても、蓄積されない、身に付かない、あるいは身に付き難いと感じます。
そのために常に物造りの感性を補充する必要がでてくるのです。
前にも書きましたように、物造りには『愛』が不可欠になるわけです。
つまりこれが私の言う土俵の下の問題なのです。
私の問題指摘に対して、改善してくれるのですが、改善の仕方が『何だこんな小さな問題』、との認識から改善してくれるわけで、
また同じような問題が発生しても、なんら不思議ではないのです。
つまりそう簡単には行かない、身に付けさせられない問題なのです。
では土俵の下の問題とは?。あらゆる分野に及びます。最適な工具が無ければ、間に合わせ的な方法で作業する。
仕掛品を無造作に地面に置く、作業工程を必ずしも守らない。
変形、傷、汚れ等には、余り注意を払わない、品質を更に高めようとする意識が低いことが
品質に影響することも。不良品発見に対して、既に生産された商品を疑問視しない。
過去の経験を活かそうとはあまりしない、などなど。これら決して大げさに言っているわけではないと考えています。
物造りには毎日何らかの問題が生産現場で発生するわけですが、それに対する対処の仕方に日本側としては問題を感じるのです。
ですからこれらの問題は常に発見して、是正させていく必要を感じるのです。
私も嫌な仕事ですが、これを実行して行かないことには、日本側お客様を満足させることが出来ないのです。ですから常に嫌われています。
つまり感性補給を常に行う必要性が生まれてくるのです。
これは、こちらの人にとっては、『あら探し』に取れるのでしょう。いくら『あら探しではない』と説明しても無駄なことです。
『あら探し』には違いないでしょう。