中国製造自転車での孤軍奮闘記録−31−自転車設計を考える−1

自転車設計?そうです。れっきとした設計基準、設計思想があるのです。
突き詰めれば、一つの学問にもなります。
簡単には言い表せませんが、人間が乗るものですから、当然、乗りやすさが重要です。
乗りやすいということは、無駄な人体のエネルギーを使わないということにつながります。
そして外観デザインも当然大切な設計要素になります。
無駄のない設計は必ずといってよいほど、外観的にも優れたものが出来上がるはずです。
人間が使うものは無駄のないものほど、美しく出来上がると考えています。
自転車においてもそうだと思うのですが、最近は問題発生に対して、すぐに不良品だ、リコールだと騒がれるので、
特にフレームにおいては、強度を常に重視する結果になっていると考えます。これもちろんのことですが、
やはりバランスが必要と考えます。ここが難しいのです。丈夫な自転車はある意味ユーザーのエネルギーを
必要以上に浪費させると共に、ユーザーを更に危険にさらす結果にもなりかねません。じゃあどうするか、ここで多分に経験が必要になってきます。
大人車、子供車において、フレームのスケルトン(骨組みという意味)設計は既に確立されていると言ってよいと
考えますが、問題は幼児車です。
幼児車は人間を自ら運搬する手段ではなく、遊び道具なのです。ですから余計に神経を使って設計しなければなりません。
特にスケルトンでもハンガー下がりと呼ばれる部分に、気を使うべきで、とっさの時点で、容易に自分(幼児)の身体を確保できる
状態にできることが重要な要素です。また幼児車だからと強度を甘く見ると、大きな問題になります。
自転車としてではなく、遊び道具として使うことを十分考慮して、設計すべきです。
また、大昔ならばともかくとして、小さい時からある程度大きくなっても乗れるといううたい文句の自転車においては
やはり幼児であればあるほど、子供であればあるほど、其の子に合った自転車を提供すべきで、何歳から何歳まで乗れるということは
ある意味、無理やり乗ることで、無理やり乗せることであり、私は賛成できません。
買う人の自由ですが、買ってから後で後悔するようになるのでは、と心配です。
『乗れる』と『乗りやすい』とは全く性質が別の問題であり、現代では親の意向というより、子供の意向を親が汲み取って、親が判断すべきと考えます。
小さい子供であればあるほど、其の子にあった自転車を与えるのが良いに越したことはないはずです。