中国製自転車での孤軍奮闘記録−3−中国の癖


ではなぜ先に汚さないようにすることを優先しないのか?この件、未だに分からないのですが、
そして中国側もまず先に街をよごさないようにすることは、十分に理解していることなのですが、なぜ出来ないのでしょう?
それは良い悪いの問題ではなく、私の感じている結論から言うと、習慣つまり癖と感じています。
つまりそう簡単には直らないのです、そう簡単には直せないのです。
その結果、私にはこちら中国での生産品には、『愛』を感じて生産しているとは思えないのです。
私は物作りには『愛』が不可欠と感じています。
『愛』がないと製品に多くのバラツキを生じさせてしまうと考えています、生じさせています。
このような生産状況下では、当然製造責任は不明確になると感じています。
ですから販売責任が余計に日本側にかかると感じています。
実際,色々と中国製品で問題が発生している中で、其のことは実証されているのでは。
言うまでもなく自転車は人の命を乗せて毎日毎日走っています。
こうした中、どれだけ中国製の自転車を理解して,日本側は中国側に自転車を造らせているのでしょうか、
また中国側、どれだけ自転車を理解して造っているのでしょうか。
私は双方自転車を知らない、双方自転車を甘く見ていると断言します。
私はこのブログを開設するに当たって、実のことを言うと日本側への警告をしなければいけないという責任に駆られたことも確かです。
では日本側、何をしなければならないのか?。
直接的、間接的にこの業界を守るために、そして消費者を守るために出来ることがあるはずです。
この問題,一部の人間が悩んでも始まりません。皆が悩む必要を感じます。悩まないと人間は大きくならないからです。
悩んで初めて大きくなるのです。まずは先に皆さん、何が出来るか、何をしなけらばならないか考えてください。
私の考え方は今後の機会にお話します。

なぜ私はこちら中国の自転車生産品に『愛』感じることが出来ないのでしょう。全てを説明できませんが、
こちら中国、安いものには良いものはないと言うことわざもあるくらいで、安いものは品質が悪くても仕方ないという考え方です。
日本人から見ても、もっともな考え方ですが、現在の日本はこの考え方が薄れてきていて、安いものも、
良いものも一定レベルの品質は同じでなければならないという考え方が主流と考えます。
つまり強度面において同じでなければならないという考え方が主流で『普通に乗っていて壊れる』ことは不良と考えています。
自転車が一万円ちょっとで買えることが,不思議と考える人は殆どいなくなってしまってきていることは、私にとって悲しいことです。
しかし工場では200人以上の各人の工程を経て、自転車が製造されているにもかかわらず、非常に安い商品なのです。
実際私は、40から50年前と同じ価格のものは自転車、玉子、バナナと勝手に思っています。それともっとも大きな原因は工場側指導者、
品質に対する認識がない、あるいは薄いのです。コストの件が優先されるからです。ですから末端は、
当然品質に対する認識は改善されないということになり、私の考えは通らないのです。
なぜ?やはり工場側指導者の私に対するバックアップがないことには、末端は直接は私の言うことが分かっても、
工場側指導者からの直接指示、あるいは方針が示されないことには、言うことを聞けないことになります。
もっともなことと感じています。
また、自転車は何かの宣伝の時には必ずと言ってよいほど販売促進に使われるからです。
私はこういう状況が我慢ならない!のです(笑い)。
こうした状況下でも、何か少しでも問題が発生すると生産者側は責められるのです。
まあ当然といえば当然のことでしょうが、
こちら中国側は、そうは受け止めていません。
ここに大きな大きな温度差が生まれ、品質改善に影響するのです。
こういう状況下ですから中国側部品メーカーも、近年は利益が減り、品質改善に対して、多くのメーカー、積極的ではなく、改善意欲がなくなっています。
中国製自転車の品質問題は決して、中国側だけに責任があるのではないことは、
日本側十分責任を感じるべきと考えています。それが業界を守り消費者を守ることになると考えています。
くれぐれも毎回書くブログ内容、私決め付けて書いているのではありません。
誤解のなきよう、参考にされ更にご自分でご判断ください。
次回は何を書きますかな?。
中国側からの話題、そして日本側からの話題を、交互にと考えています。

添付の写真は、大通りの向こう側にある出店の果物屋に行きたいのですが、信号もあるのですが、歩行者はいつ渡ったら良いのか分かりません。
歩行者には優しくないのです。ぼけっとしていたら車に当たられます。