中国自転車製造における孤軍奮闘記録−1150−今野製作所・ケルビム、日米富士自転車、タンデムロードレーサー

ふと思い出しました。
今からもう30年以上、40年近くになるかな、その頃は日米富士自転車(知っているかな?)も健在で、
フジアメリカ向けのスポーツ車も多く生産していました。
その頃私は貿易を担当していて、タンデムロードレーサーの設計も任され、石渡製作所製のクロモリパイプを使った記憶があります。
そして名前は忘れましたが、石渡製作所には名の知れた自転車関係の技術者もいたと記憶しています。
そしていろいろとその人の指導を受けた記憶があります。
そしてそのフレーム製作を当時日米富士は町田にありましたし、技術部長は???オリンピックの自転車競技監督をした
杉原蒋一郎というすごい方もおりました。
そして今野製作所・ケルビムも町田市にありました関係上、ここにフレームを依頼することになり、何度か足を運んだ記憶があります。
そして苦労したのはブレーキ問題、チューブラータイヤを使用していたのでリムブレーキではリムセメントが融けてしまうという問題で
記憶に間違えなければ、当時のマエダ工業の後ろハブにつける放熱フィン付を採用したように記憶しています。
この頃の仕事は常に夢がありましたね。