中国製自転車製造における孤軍奮闘記録−46−中国人の面子と日本人の面子の歴史

殆どの人が知らないと考えます。中国人の面子は日本人の『面子』の考え方とははるかにはるかに違いがあるのです。
中国面子には歴史があるのです。
面子を保つには理屈はいらないのです、根拠はいらないのです。いらないというよりこれといった根拠は絶対に曲げません。
他の根拠はどうでもよいのです。つまり面子を保つ根拠であることが最も重要視されます。
何を言っているのか分からないのでは?分かろうとしても無理です。面子は理解できないでしょう。
相手を理解することが面子を理解することになります。
なぜ中国新幹線事故の車両を検証しないのですか!?それは言うまでもありません、中国側の面子です。
世界で最も優れた新幹線車両を独自で開発したという中国側の面子に過ぎません。
この事故車両を検証することは独自開発の車両に問題があるということにとられる可能性があるからです。
まずは中国を理解する必要があります。其の上で中国と付き合う必要性が生まれてくるのです。
日本人の日本人としての尺度は通用しないとを思い知るべきです。
こうした考え方は現在の中国を考えてみれば、国を守る上である意味当然のことなのです。
小さな島国の日本とは比べ物にならないくらい中国を治めることは難しく、理屈で治めることは不可能なことです。
このことは日本側もっと理解した上で、中国と商売すべきと考えます。
会社同士の商売においても基本は中国政府となんら変わりないのです。
日本人側の考えも変えていかねばならないことは明白です。この問題良い悪いの次元の問題ではないのです。
ここに日本人側の欠点があります。良い悪いで捉えているから日本側損をするのです。 
日本側の曖昧の理論は通用するところと通用しないところとを使い分けることです。
自転車作りにおいてもこれが顕著で、時として大きな障害になるのです。
日本人は問題を分析して、少しでも問題があれば謙虚に反省し、これを次に生かすという、ある程度面子も捨てることも考えて仕事をしますが、
ここの違いは大きく、これが品質改善に影響していると考えています。
そして以前の政府(法律)は工場側、会社側寄り?であったと考えていますが、現在は労働者側?に立っているのでは、
というより中立ではない?と考えています。
これを知っている?労働者は賢く振舞っているのでは。これ以上は推測ですから書くことは出来ません。
一つ例を挙げます。この例は適切な例と考えています。
すべてを表現できる適切な例と考えています。
中国での中国人との宴会の席で最後に残ったスイカの一切れ。
あなたは食べますか?!