中国自転車製造における孤軍奮闘記録(自転車車検制度)−1471−サイクリングロータリーの故松本 勲さんのこと。

私がこうして自転車関係で中国で仕事をしていて、たびたび思い出すことは
以前サイクリングロータリーにいた故松本 勲さんのこと。
彼とは昭和48年に日米富士自転車に入社した同期生でした。
確か東京農工大学を卒業して日米富士自転車に入社したはず。
そして入社当時神奈川県淵野辺の日米富士自転車寮に一緒に住んでいました。
そして彼を入社前から知っていたのは確か『サイクルスポーツ』という本で
『日本一(世界一?)軽い自転車を作ろう』に応募して入選した記事を読んだからです。
非常にユニークな人でもありました。
彼はTOEIの赤い自転車に乗っており、そして私と共に『自転車』を愛する人でした。
そして共に修善寺の『チャレンジロード』にも参加していました。
しかし突然、チャレンジロード参加の練習中に交通事故!
そして帰らぬ人となってしまったのです。
もう30年以上昔になるかな?
これを書くきっかけとなったのは先日の『サイクルモード』を見に行って
ヨシガイ機械のブースの前で松村さんと久しぶりにお会いして、
そこで松本さんの話が出たことがきっかけです。