中国自転車製造における孤軍奮闘記録−794−ちょっとした運命のいたずらで『死』にいたることに。

今回の韓国の海難事故、ちょっとしたことから自分の命を落とすことになっていると感じています。
もう年で涙もろくなってきているせいで、ニュースを聞いていて涙が止りません。
この年になると人をあまり信用しないというか経験から信用できないのです。
つまり多くの判断は自分の責任で自分が判断する能力を養うことだと考えています。
人は人を助けないのではなく、人は時として誰も助けられないことになるのです。
つまり答えは決して一つではないこと、ケースバイケース、臨機応変、この判断が狂うと予期せぬ事態になることもあるのでは。
つまり『今でしょ!』『後でしょ!』を判断することが、判断できることが最も重要な条件ということでは。

また時として人によっての運命のいたずらが人の人生を狂わせてしまうことも。
もう何十年も前のことですが、ある人が心臓か脳か忘れましたが会社で倒れてしまいました。
すぐに救急車を呼んでくれたようですが、その呼んだ救急車をキャンセルして、自分達の車で病院に運び、
結果、たらいまわしにされて死亡したようです。
私と同じくらいの年の人だったようです。
言いたいことは、決して運命のいたずらの手助けをしてはならないということです。
謝った道へ行く可能性の高い手助けをしてはならないということです。